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センサーと、ACTHから再発まで。その2 の続きです)
退院してからの2か月は、平和な日々でした。
帰宅してからは部分発作も落ち着き、ももぞうも毎日楽しそうで。
やっと、落ち着いて暮らせる。
そろそろ保育所の申し込みを…と、思っていた矢先でした。
最近少し元気ないなー、風邪でも引いたかな?と思っていたある日。
目が。
上転しました。
忘れもしない、あの動き。
点頭発作です。
我が目を疑いました。
シリーズ形成することはなく、その1回きりでした。
でも、見間違える筈もありません。
主治医に電話しました。
脳波の予約を取り、帰宅した主人にも伝えました。
主人も、顔色が変わりました。
その日から、少しずつ、少しずつ、発作の頻度が増えていきました。
シリーズ形成もするようになっていきました。
1か月も掛けて、あんな苦しい副作用に耐えて、ACTHを終えたのに。
3か月も入院して、やっと、やっと退院できたのに。
穏やかな暮らしは、僅か2ヶ月で終わりました。
脳波の結果、やはり点頭発作の再発でした。
ももぞうはACTHの影響か先天的なものかは不明ながら、脳の委縮が強く、2度目のACTHは難しいとのことでした。
あとは投薬調整しかない、と。
絶望しました。
主治医は「まだ試していない薬もあるし、ケトンもある。新薬もある。諦める状況ではない」と言っていましたが。
投薬やケトンでの制御がACTHとは比べ物にならないくらい可能性の低いものであることは、知っていました。
しかも、ももぞうは発症時、既に点頭発作の第一選択薬・第二選択薬を試しており、どちらも効果はあまり感じられませんでした。
あとは、マイナーな薬を、時間を掛けて試していくのみ。
それでもダメなら、ケトン食。
泣きました。
夫婦で。
希望を掛けていた「発症から1か月以内に発作が制御できれば、正常発達も十分に望める」という最後の光が、フッと消された気がしました。
ああ。うちの娘は。
この可愛い可愛い、世界にたった一人の、私たちの子は。
障がい児になるんだ。
初めて、実感しました。
その後、また投薬の調整を続けましたが、効果は薄く。
ももぞうの発作は、どんどん酷く、多く、長くなっていきました。
何とか、何とかしたい。
本当に、もう投薬しか方法はないのか。
外来に行って、投薬調整と採血をする日々。
飲んでも飲んでも、副作用ばかりで効果の無かった、沢山の薬たち。
残り少ない方法を、一つずつ潰していくかのような治療。
どんどん酷くなる発作。
発達がどんどん退行していきます。
身体はグニャグニャになり、オモチャに興味を示さなくなり、殆ど笑わなくなりました。
目線もあまり合いません。
左右の目がチグハグな所を見ていることもあります。
あの、笑顔が。
可愛い声が。
仕草が。
どんどん、失われていきます。
指の間からゆっくりと砂がこぼれ落ちていくような、焦り。
誰か。
誰か。
誰か、ももぞうを助けて。
いいや、違う。
違う!
私が。
私が、何とかしなくちゃ!!
この子のことを、この子のことだけを必死に考えられるのは、沢山の患者を診てる医師じゃない。
私たち両親しかいないんだ!!!!!!!
主治医のことは、この時も今も、変わらず信頼しています。
でも、違うんです。
病院の方針がある、たった一つの病院に勤めている、一人の主治医だけに頼っていては、ベストな治療を受けられないのではないか。
日本中の、何なら世界中の、病院から、治療法から。
ももぞうを助けてくれる何かを探し出せるのは、私しかいない。
ももぞうの為だけに動けるのは、私しかいない!
もう、必死でした。
今思えば、投薬やケトンで発作制御されてる患者さんも沢山いるし、主治医の言うとおり『絶望するような、諦めるような状況ではない』んですが、この頃は完全に冷静さを失っていました。
毎日1000回を超える発作を起こすももぞうの姿を、見ていられなかった。
自分でも何かしないと気が済まなかったんだと思います。
何かを変えなければ、何か行動しなければと、必死でした。
有難いことに、主治医からは、発症当時から「セカンドオピニオンを活用して、広い可能性の中から治療していくことを考えておいてください」と提言されていました。
何日も徹夜して、必死で、取りつかれたようにPCに向かっていた、あの頃の私。
民間療法や、サプリや、鍼灸や、新薬や。
沢山の病院。治療法。名医と言われている先生。
可能性のありそうなものは、片っ端から調べまくりました。
そしてたどり着いたのが、ももぞうを、私たち家族を救ってくれた、長崎医療センターの『脳梁離断術』でした。
かかりつけ医院とは全く違う方針の治療方法です。
それでも有難いことに、主治医は『よく決断されましたね。僕は反対しませんよ。頑張ってきてくださいね』と送り出してくれました。
そして2014年2月12日、ももぞうは長崎医療センターにて脳梁離断術を受けました。
みなさんの祈りと、執刀医の腕で、ももぞうは地獄のような日々から救い上げられました。
きっと今日もどこかに、あの日の私と同じように、治療方法を、希望を探して、PCに向かっている人がいる。
考えただけで、胸が苦しいです。
実は最近、ももぞうパパのお友達ご夫婦の愛娘さんが、他でもないウエスト症候群を発症してしまいました。
他人事ですが、本当に、本当に、ショックでした。
私は直接お会いしたことはないんですが、以前から話には聞いているご夫婦でした。
明るくて優しくて、とても良いご夫婦だそうで。
どうして。
どうして、こんな辛い病気があるんだろう。
どうして治らないんだろう。
どうして、そんな優しいご夫婦が、何の罪もない小さな子供が、こんな目にあわないといけないんだろう。
どうか、どうか、1日も早く、有効な治療法が見つかりますように。
難治てんかんなんて、この世から無くなりますように!!!!!!!
1. 無題
読んでいて涙が出ました。私も息子が入院中スマホが壊れるんじゃないかというくらい何度もウエスト症候群について調べました。
ウチの子は感染症の数値がありすぐACTHが出来なく、タイムリミットの1か月が近づいてる…泣いてばかりの日々でした。結果1か月と少しで発作は治まりましたが、1か月以上かかったことが今後どうでるのか不安でたまりません( ´△`)
お友だちのお子さんもウエストなんですね…心配ですね…
けど、こんなこと書いたら怒られるかもですが、同じ病気の子がいるのを聞くと同じ気持ちをわかってくれる人がと思ったりして嬉しく思ってしまうことがありす…子どもの病気のことで自分が病んでるときは、他の子も病気になれば気持ちがわかってもらえるなんて最低なことを考えたりもしました。
この世の中から治らない病気なんてなくなればいいのに…ウエスト症候群の特効薬が見つかり難治性じゃなくなればいいのにと願うばかりです(。>д<)
Re:無題
コメント返信遅くなりすみません!!
コメありがとうございます♡
病気の子をもつと、本当に気持ちの整理がつかないというか…冷静ではいられないですよね。。
今はもう落ち着いてるので大丈夫ですが、発症から暫くは本当におかしくなってました。
元々仲の良かった健常の子のママに『障がい児だってこと、気にしすぎ。もっと前向きにね!』って言われた時に、もう悲しみ通り越して殺意を覚えました。笑
今思えば友人なりに気を使ってくれたのも分かるんですが。いやでも今思い出してもちょっとムカつくかも(^o^)笑
私もブログには書きませんが、ダーティーな気持ちになること、よくあります。
ほんとうにね~~~~~、病児の子の親にしか分からないことがありますよね!
まあでもそれってきっと逆でも同じで、私が分かってるつもりでも到底理解してあげられてないことも、沢山あるんだろうし…。
部外者?に分かってほしいとは言わないし到底無理なんだろうけど、だからこそ分かりあえる者同士は支え合いたいですね。
一緒に頑張りましょうね!