夜中ってダメですよねー。
何でこんなに感傷的になるんでしょうか。
アンニュイmomomama…。
(アンニュイの使い方絶対間違ってる)
今でも、見ると辛くなるんですよね。
いや、可愛いんだけど。。
ももぞうが、正常発達だった頃の動画のことデス。
生後3ヵ月(発症前)とか、6ヵ月(ACTHでの発作消滅時)の頃のやつなんですけど。
今と全然違うんですよね。
何と言うか…、普通。
普通の子供。
私に笑いかけ、オモチャを上手に使って遊ぶ。
動きも、落ち着いてて、違和感がないというか。。
目の前の物を掴むのも、上手。
手がウロウロするなんてこともありません。
私の先入観も大いに影響してると思います。
でも、やっぱり、二度と手に入らないもののように思えて。
分かってるんですよ、頭では。
今のももぞうも可愛いし、私なりに、ももぞうなりに、幸せ。
一時期に比べると、ももぞうの病状も、私の精神面も、相当落ち着いています。
けど、何度も考えたことがありました。
何て残酷なんだと。
出来ていた姿を知っているから、余計に辛い。
他人ではなく、本人の過去と比べてしまう、比べられてしまう。
出来るようになるのではなく、出来なくなったのを見守る寂しさ。
それでも、ね。
健康だった、健常だった頃のももぞうの姿が、同時に私の支えになってきたことも確かなんです。
無反応になってしまったももぞうに、健康だった頃の笑顔を重ねて、必死に話しかけたり。
病状の悪い時でも、いつかの元気な笑顔が、泣き顔が、可愛い仕草が、私を奮い立たせてくれました。
あの笑顔を、あの姿をもう一度この目で見たい。
闘病を支える、大きな原動力でした。
残酷なんかじゃない。
辛いだけの思い出じゃない。
あの時期は、短いけど。
弱い私が、その後やってくるドン底期をどうにか乗り切れるよう、ももぞうがくれたボーナスステージだったんだ。
そう思うようにしました。
発症前、ずっと頭を気にしてゴリゴリ掻きむしり、時に険しい顔をしてじっとしていたももぞう。
耐えていたんだよね。
一人で。
私の知らないところで、一人で、もう病気と闘ってたんだよね。
私が何も知らずにはしゃいで子育てしていたあの時間は、ももぞうの頑張りで成り立っていたものでした。
せめてお腹にいた頃は、快適に過ごせていたんだろうか。
そうであって欲しいな。
ありがとう、ももぞう。
たくさんたくさん頑張ってくれて。
私のもとに生まれてきてくれて。
幸せを沢山くれて。
ありがとう。
今日は、私がお風呂に行っている間、えらく怒ってました。
戻ってすぐ抱っこしても暫くは怒ってましたが、じっと抱っこして話しかけているとそのうち落ち着いて、ベッドに降ろすとすぐにスヤスヤ眠りました。
母ちゃんのこと好きかい?ももぞう。
母ちゃんは、ももぞうが大好きだよ。
ももぞうを抱っこしてると、私の方が幸せで。
なんだか自分の方が抱っこされてるような気持ちになるよ。
母ちゃん、もっと強くならないとね!
この頃と同じ笑顔は、もう見られないかもしれないけど。
二度とない『今』のももぞうの笑顔も、同じくらい大切なものだよね!
いや、むしろ辛い闘病を乗り越えてきた今の笑顔こそ、もっともっと素晴らしい。
これからもきっと、色々迷うけど。
それでも、前へ!
前を向こう!!
私がグズグズと泣いて過ごす一日は。
亡くなった母親が、子供の側で生きたくて堪らなかった一日かもしれない。
亡くなった子供の母親が、あと一日だけでも良いから我が子と過ごしたかった、と泣いている一日かもしれない。
将来の私が、あの日ももぞうと笑顔で過ごせば良かったと死ぬほど後悔する一日になるかもしれない。
泣く時間も必要だけど。
無駄にはしたくない。
大切な、毎日。
笑って。
前へ、進もう!!!