2013年4月8日
ももぞうが大発作を起こして生活が一変したあの日から、1か月が過ぎました。
K先生との面談から一週間ほど経ったこの日は、定例の脳波検査がありました。
ももぞうはちょくちょく微熱が出たり、熱が無い日もなんだか元気のないことが多い一週間でした。
寝返りで遊ぶのが大好きだったのに、あまりしなくなります。
部分発作(無呼吸)は減っていました。
病棟内の看護師さんがインフルエンザになり、病棟の患者さん全員がタミフルを服薬していました。
タミフルのせいか、微熱のせいか…どうしたのかな~とmomomamaは心配していましたが、特に高熱を出すこともインフルエンザを発症することもなく過ごしていました。
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2013年4月9日
この日は『暫く撮ってないから』という事で、ビデオ脳波を撮りました。
ビデオで患者を録画しつつ、脳波を撮ります。
録画した様子とその時の脳波を照らし合わせることで、どんな発作を起こしているのか、また心配な動きが発作でないかどうかを確認します。
momomamaの気になっていた、おかしな黒目の動きも撮影できました。
黒目キョロリの件は小児神経内科専任の看護師さんにも見てもらいましたが、『癖でこういうことする子もいるし、微妙だな~』と首を傾げていました。
momomamaは『どうせ今日ビデオ脳波撮るなら、昨日わざわざ検査室で脳波撮る必要なかったんじゃないの~』と呑気なことを言って笑っていました。
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2013年4月11日
ビデオ脳波を撮った翌日、K先生と面談がありました。
K先生は若い男性の先生です。
そしてちょっとしたイケメンです。
失礼ながら、転院してきた時は『こんな若い先生で大丈夫かよ…しかもなんかプライド高そう(←イケメンに対する偏見)。嫌だな~』と思いました。
前の病院で診て頂いてたS先生は小児科部長で、年配の男性でした。
なのでその差に少し不信感というか、不安がありました。
(後から知ったのですが、S先生はO市立総合医療センターを定年退職されて、ももぞうの診て頂いた病院へ移られたそうです)
んが。このK先生、今ではすっかり信用しています。
普段は冷静沈着で、話し方も腰は低いのに淡々としていて、感情の波も少なくいつもフラットでいてくださるのが、患者側としてとても助かります。
たまにちょっとお茶目な天然風味が見え隠れしますが(お医者さんが天然て!!大丈夫?!と思われるかもしれませんが)、momomama夫婦はK先生への信頼度が高いので、我々にとってはたまの支障ない小ボケはチャームポイントでしかないです。笑
で、この日も面談は淡々と進みました。
いつもとても分かりやすく説明してくださるので、momomamaはノートを持って行って授業を受けるかのごとく記録を取ります。
でもこの日は、テンパって記録がグチャグチャでした。
ももぞうは、点頭てんかんになってしまいました。
え?
どうして?
こんな短期間で?
ついこの間、大丈夫って言ってたのに。
発達もしていってるのに。
(点頭発作を起こすと発達は退行します)
さすがにこの日は、K先生も言いにくそうにお話しされ、私の顔色を心配しつつ面談を進めてくださいました。
しかも、他でもない、momomamaが気になって先生に訴え続けていた『黒目きょろり』が、ももぞうの点頭発作でした。
(点頭発作は、代表的なお辞儀発作以外にも発作のパターンがあります。詳しくは
こちらのページに記載しています)
脳波を撮った翌日にビデオ脳波を撮ったのは、ももぞうは普段点頭発作らしき動きをしていなかったので、どんな動きで点頭発作を起こしているのか確認するためでした。
K先生から、
『先手を打って治療にあたったんですが…力及ばず、我々も悔しいです』
と言われ、涙が出そうになりました。
心の中では、『やっぱりなってしまった』という気持ちと、
『まだ発症したばかりだし、予後に希望はある』という気持ちと…
そしてネットで見た
「予後不良のてんかん」という言葉がグチャグチャに混じり、パニック寸前でした。
それでも今後の事をどうにか話し、面談は終了しました。
いつも面談が終わってからその足で主人に内容を報告するのが定例になっていたので、その足で通話エリアへ行き、電話をかけました。
始めは言葉が出ず…、何とか報告しましたが、呆然としたまま、言葉少なく終わったのを覚えています。
モモパパも絶句して、暫くは無言でした。
帰宅して、改めて話しているうちに涙が止まらなくなりました。
点頭てんかんだけは避けたかった。
この日から、『早期治療をして1か月内に発作が治まれば予後は良い』という言葉だけに縋りながら、真っ暗闇を手探りで歩き続けるような…辛い辛い日々が始まりました。