珍しく連続更新です。
(すみません、うまく書けずアップ後もかなり加筆修正しました。やっと、何となく自分の考えがまとまりました。それにあわせて、掲題も変更しました)
えー、皆さんお忘れかもしれませんが、私いちおう心理学のペーパーカウンセラーでして。。
先日、久々に学校の講座に行きました。
(在校生は勿論、卒業生もひとコマ単位から再受講できます)
この学校で、私はその後の人生で大切にするような言葉に、いくつも出逢いました。
そもそも心に残ったり刺さったりすることって、自分が激しく共感するか、もしくは出来ていないと気付いたこと、なんですが。
今回、また大きな衝撃を受けた言葉がありました。
そしてそれは共感ではなく、出来ていなかったことへの気付き、です。
障害児を育てるみなさん、『障害児を愛せるだろうか』と不安になったこと、ないですか?
私はずっと不安でした。
障害児の育児なんて、出来るだろうか。
ちゃんと愛せるだろうか。
私の親は、とても厳しい親でした。
沢山の習い事、塾、高い目標設定、厳しい躾。
とても抑圧の強い教育方針でした。
そして親の言う通りに出来ないことは、出来るようになるまでとことん罵倒され、なじられ、矯正されてきました。
子供の頃の私は、『良い子ですね』とよく大人に褒められましたが、少しも嬉しくなかったのをよく覚えています。
私はそれが、まるで自分は親の自慢の道具にされているように感じられて。
親の思い通りにならない自分なら、親は受け入れてくれないだろう、と思っていました。
そして、そんな親が、大嫌いでした。
その裏にある愛情に気付けるほど大人でもなかったし、自分が親になった今では教育方法としての問題も感じます。
私の両親はもういないのであくまで推測ですが、恐らく孫が障害児となれば、受け入れられなかったと思いますし、否定されたと思います。
学歴・家柄・お金・教養、全て揃わないと人間じゃない!くらいの考え方をする人たちでした。
そんな親のもとで育ちましたが、私はそんな考え方が嫌いでしたし、自分は違うと思っていました。
ももぞうのことも、本当に大切だし、大好きだし、可愛いです。
だからこそ、元気で健康に育ってほしい。
それは勿論、今も変わりません。
ですが身体のこと以外では『私の親のようにはならない!思い通りにならない子供でも、否定しない!』と、強く思っていました。
そして、『障害児=不幸』と決め付けないようにしよう、とも考えてました。
私の思う『ももぞうの幸せ』は、ももぞう本人の求める『幸せな生活』とは違います。
ももぞうが幸せかどうかは、私や周りの人間が決めることじゃない。
それは他の子供達も同じで、そして健常児でも同じで。
幸せかどうかは、本人にしか決められない。
私の感じてきた『幸せ』と同じものを求めたり、その通りにならないことを可哀想に思ったりするのは違うな、と。
それが、私なりのももぞうの愛し方で、受け入れ方でした。
ですが…学校の講座で聞いた言葉で、もう鳥肌が立つくらいに衝撃を受け、反省しました。
『相手が あなたの求める通りの人間でないと、愛せないのですか?
それは、相手を愛しているのではなく、あなた自身の価値観を愛しているだけです。
その人自身をつくりあげてきた 生い立ちや人生の全てを受け入れ愛することが、その人を愛する ということです』…というものでした。
稲妻が走るような感覚、久々でした。
私はももぞうを、本当の意味で愛せていたんだろうか。
『私の理想を押し付けてはいけない』『不幸だと決めつけてはいけない』と自制していただけで、結局は私も、私の親と同じだったんです。
そもそも、
求めてはいけない のではなく、求めること自体がおかしいのだ、と気付きました。
私は、ももぞうを通して、その向こうに見える自分の価値観を愛そうとしていました。
そしてそれらが重ならず、何とか自分の価値観を矯正しようとしていただけでした。
ですが、ちゃんとそれに気付いてから、冷静に考えてみると。
ももぞうは、そんな私のくだらない理想像とは比べ物にならない、本当に本当に素晴らしい子供です。
頑張りやさんで、可愛くて、優しくて、お茶目で、愛情深くて。
この世に一人だけの、重たくてめんどくさくて死ぬほど愛しい、生身の人間です。
…そしてそんな考えが長らくグルグルした結果、私なりに、何かストンと楽になりました。
ももぞうが、私の価値観や理想と違っていても、そのままを素直に愛せばいいんだ。
だって、それがももぞうだから。
理想通りでなくても、そのまま愛していいんだ。
理想との違いに悩むのは、自分の理想を愛そうとしているだけ、それが叶わないことに悩んでいるだけなんだ。
目の前にいるももぞうを心から可愛い、愛しいと思っているのに、理想の子育てとは違う『障害児を受け入れ愛する子育て』というハードルを自分で勝手に作り、それをどう乗り越えていくかに勝手に悩んでいた、てきな。。
そんなの、気にしなくていいんだ。
…なーんだ。私は、自分で自分を苦しめていたんだな。。
大丈夫。私は、ちゃんとももぞうを愛してる!
愛する子供が、障害児になってしまった。
事実は、ただそれだけなんです。
それを悲しむのは当然ですが、愛せるかどうかには関係のないことでした。
だって、現に今、愛してるのに。
愛せるかどうか悩むって、おかしいですよね。
ももぞうが泣けば心配でたまらないし、具合悪くなれば気になって仕方ないし、笑ってくれれば疲れが吹っ飛ぶくらい幸せな気持ちになります。
それでいいんだ。
私も結局は、私の否定していた『親から受けた子育て』の価値観をそのまま受け継いでいたんですね。
気付けて、本当に良かったです。
今は、ももぞうを可愛いと思う気持ちが更に大きくなりました。
目の前のももぞうをそのまま愛すること、それは何より簡単で、そして難しいことでした。
はしゃぎすぎて、お団子ヘアーが崩れまくった ももぞう。笑
これからは、もっと素直に、もっと深く、ももぞうを愛していきます。
ももぞう!
母ちゃんは、あなたが大好きだよーーー♥♥♥